
表参道駅B3出口を出て徒歩1分、スパイラルビル入口脇の柱に石碑が埋め込んである都旧跡、「高納長英先生隠れ家」跡がある。
高野長英は江戸後期の医者・著名な蘭学者であったが、幕府の対外政策を批判したため投獄された。小伝馬町獄舎炎上を機に逃げ、日本各地に潜伏した。嘉永3年(1850)に江戸に戻り、青山百人町の同心組屋敷の小島助次郎の借家で隠棲し、ひっそりと町医者を開業した。硝酸で顔を焼いて人相を変え、沢三伯と名乗って身元を隠していた。
同年10月30日の夜、この隠れ家に南奉行所の与力・同心が踏込み、殴打の末に捕縛したが、長英はその日に絶命した。当時の南町奉行職(=警視総監兼東京地裁判事)は、あの「遠山の金さん」こと遠山影元(金四郎)であった。
このエリアには善光寺の境内にも高野長英の顕彰の碑があり、高野長英にとって馴染み深い場所である。